奈良時代頃までは畳は現在で言うむしろのような薄い形状のものだったと考えられています。
現存するものでは、むしろのような物を5~6枚重ねて床にし、表に菰(こも)を被せて縁を付けた物を木の台に置いた「御床畳(ごしょうのたたみ)」があります。
同じ物を二台並べることで聖武天皇のベッドとして使っていたと言われています。
平安時代に入ると畳は厚みを持ち、床に据え置いて使われるようになりました。
また、この頃から大きさの規格化が進められます。まだ当時は必要な箇所にのみクッションのような感覚で敷かれていましたが、
建築様式が平安時代の寝殿造から鎌倉・室町時代にかけて書院造へと移り変わるに従って部屋全体に畳が敷かれ、頻繁に動かす事がなくなったためより厚く重たくなりました。
茶道が広まるにつれ畳は普及していき、座るための道具から建物の床材となったのがこの頃です。
畳が一般庶民に利用されるようになったのは江戸時代中期以降のことです。それまでは貴族や武士の屋敷で使われていました。
庶民の間にも畳が広まるにつれて、原料となるい草も自然に生えていた物や少量栽培されていた物の利用から、本格的に栽培するようになりました。
畳職人という職業が確立されたのも江戸時代後期に入ってからです。
明治維新後には農村部でも畳が用いられるようになりましたが、第二次世界大戦後は生活の洋風化に伴いフローリングの床が増え、畳の生産量は減少していきます。